空へのチャレンジ
空を飛ぶことは人類の夢だった。世界初の有人飛行に成功する12年前の1891年、日本でも飛行機の原理を発見し飛んだ日本人がいた。彼の名は二宮忠八。エンジンのない時代になんとかして飛びたいと思った彼は、軍で調剤手をしていた経験からか聴診器のゴム管を動力にし、プロペラを回し10m飛んだという。その後、彼は住友ファーマの前身の会社(大日本製薬)で取締役までになったそうだ。彼のなんとかしたいスピリッツは、今でも住友ファーマに受け継がれているに違いない。
宇宙へのチャレンジ
人類を月へ送るという壮大な計画も、かつては一人の科学者の夢物語だった。携帯やインターネットはおろか関数電卓も無かった時代、なんとかしたいという思いだけでロケットを作り上げ、月面に降り立てるまでになった。それは今から50年以上も前の挑戦だった。多くの犠牲があった宇宙開発だったが、人類の発展に大きな一歩を残してきたことに違いはないだろう。いつの日か人類が火星を有人探査する際も、なんとかしたいという挑戦者が現れるはずだ。
山へのチャレンジ
「なぜ、山に登るのか。そこに、山があるからだ」と、イギリスの伝説的登山家は言った。純粋に一人の冒険家として、誰も成し遂げたことのないエベレストに登頂したいという気持ちを口にした言葉だとも言われている。しかし、高度8,000mは酸素が1/3の常識を遥かに超えた場所。酸素マスクをしても疲労が蓄積する環境において、その男は頂上目前で消息をたった。一人の冒険家としてのなんとかしたいという強い思いはついえたが、それから29年後の1953年、別の冒険家が成し遂げることになる。挑戦は時代を超えて必ず受け継がれるということだ。
深海へのチャレンジ
この地球に、宇宙よりも過酷な場所があるという。それは深海。エベレストをすっぽり飲み込む深さ1万メートルもの深海は、まだまだ未知のエリアだ。光も届かず、1,000気圧超えという生身では絶対に行けない場所を見たいという思いは、極度の不安と好奇心が表裏セットになっている。人類最後の秘境ともいえる超深海層には、いまだ13人しか到達したことがないという※。宇宙に行った人よりも少ないのは面白い話だ。人類の知的好奇心となんとかしたいという熱量は、決してなくならないだろう。次はどこを解明するだろう。※2020年夏時点